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悲しみは地下鉄で

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 悲しいほどに人の心の機微がわからない。
 それと同時に、なぜ僕はこんなに理屈で物事を考えてしまうのだろうと鬱屈した感情に支配される。

 高校生の頃、飼っていた猫が車に轢かれて死んだ。
 僕は新聞配達をしていて、毎朝5時前に家を出る。販売所で新聞をカブに積み込み、それから家の前を東西に貫くバイパスを配達区域まで向う。
 高速道路への接続道路にもなっているので早朝でも交通量は多い。その日も大型トラックにおびえながらバイクを走らせていたのだが、家の近所に弾かれている猫を見たときも、それが自分の家の猫だとは全く思い至らなかった。まだ陽は上っておらず薄暗かったからかもしれない。
 配達が終わって同じ道を戻るとき、あれ?これってまさか……血の気が引いた。
 
 猫は外傷こそほとんどなかったもののお腹をタイヤに轢かれて長くなっていた。血はそれほど出ていなかった。僕は猫をバイクのカゴに乗せて、泣きながら家に戻った。
 家族に猫が死んだことを告げ、ひとしきり泣いた。

 高校に行く時間が迫っており、僕は涙を拭きながらも心のどこかは冷静だった。手を洗わなきゃ。死んだばかりの猫を汚いと思った意識はないのだけれど、なぜかそう考えていた。


 感情より、理性が先にたってしまう。それは今になっても変わらない。


 女の子と友達になった。
 初対面の印象は、猫みたいな子だな、だった。
 仲良くなってからそのことを言うと、自分はどっちかというと犬派だからと不本意そうではあったけれど、切れ長の目や狭い額が上品なペルシャ猫を思わせる風貌で、とてもかわいらしかった。
 最初はどちらかというととっつきにくく、一旦心を許すとずかずか僕の心に踏み込んでくるところも猫のようだと思った。踏み込まれた僕は、しかしそれを不快には感じず、むしろ心地よく思った。
 誰にでも心を開かない僕も、その子には本音で物を言う事が出来るようになった頃、ちょっとした不注意で心にもないことを告げたことで、彼女の態度は一変して冷たくなった。
 しかし、僕の言葉のどこが彼女の怒りのスイッチを押したのか、それが全く判らない。話したことをよくよく思い返して、あれだったか!と腑に落ちたときはもう遅かった。
 拒絶の一辺倒に僕はなす術もない。言いわけも、謝罪の言葉も逆効果になってしまう。時間が解決してくれるものと願いながら、悲しくなる。

 所詮、理屈は感情論に太刀打ちできない。
 判って欲しいと言葉を尽くしてもそれは意味を成さない。彼女の沈黙が怖い。恋愛感情がゼロだといってしまえば嘘になるが、別に彼女と付き合いたいとはあまり思わない。そもそも、彼女には好きな人がいる。その人を少し羨ましいとは思っても、それを奪ってどうにかするとか思ってもいなかった。
 ただ、仲のいい友人でありたい。そう願い、その関係がこのまま続くことが一番の望みだった。

 この話に結末はない。解決策もない。なぜなら彼女はもういないから。僕の前から、この世の全ての人の前から姿を消してしまったから。

 後悔のない人生を送りたい。
 そう願ってきたけれど、ただひとつ僕が後悔するのは、彼女の誤解を解くことが出来なかったこと。仲違いをしたままになってしまったこと。

 ただ、それだけ。

 でも、それはもう叶わない。

 僕が出かけるとき玄関の鍵を閉めなかったから猫は死んだ。賢かったその子は自分で戸を開けて外に出かけ、そして轢かれた。

 悲しみは理性で打ち消せるのだろうか?それらはひとつの人格の中で、はたして同居できるのものなのだろうか?そう想う時、自分が人間ではない、いびつな存在に感じられてならない。






















 これは久しぶりに書いた空想写真です。
虚実入り混じっておりますが、現実とは一切関係ありません。
死んでしまった猫はもちろん、仲たがいした友人も、このブログを見ることはないでしょうし、教えるつもりもありません。その点を念頭に留めてくださると幸いです。

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by Telomerettaggg | 2014-10-28 06:28 | SIGMA 30mmF2.8DN