影と冬枯れ
幼心にも、日差しに照らされて地面にくっきりと刻まれる自分の影に生命を感じることなどなかった。
だがしかし、大人になってみて思うに、死んでいるように見えて実は生きている生物があると知った。サンゴは石ではなく虫の一種であるのだから、もしかすると影も生きているのかもしれない、などと考えて空恐ろしくなることもある。
恐ろしいといえば、冬枯れの木の佇まいも相応に恐ろしい。落葉して丸裸になった木に生命の息吹など感じられない。斧で斬りつければ生木が見えもしよう。だがそのままの姿は死を想起させてしまう。
そもそも、葉でさえ少し怖い。御存知のとおり葉は植物にとって光合成を行う命の源そのものの部位だが、「葉緑体」などと名づけられながらも、緑はいらないものなのだ。
光合成するにあたって必要なのは光の三原色のうち黄と赤のみで、必要ない緑だけが透過して我々の眼に映るのである。だからあれは命の輝きなどではなく、植物の排泄物の色と表現してもおかしくはない。もっとも、排泄物も生命活動の一環ではあるのだが。
そのような怖い木の、それも影となったらもう身震いが止まらない。いまにも影が分離して遊ぶ人たちに襲い掛かりそうな錯覚さえ抱いてしまう。公園にいる人々は僕がそんな恐怖に打ち震えながら歩いていることなど心に浮かびもしないのだろう。それがまとも。それが平和。
by Telomerettaggg
| 2016-01-12 18:00
| SIGMA 30mmF2.8DN