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夕日が連翹(レンギョウ)に手を伸ばす頃

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 夕焼けを見るとなぜか物悲しくなるのはボクだけだろうか。
 燃えるような赤が血を連想させるからかもしれない。
 海岸沿いの道を車で走りながら、浜辺につながる海の向こうの水平線に夕焼けを見ると、ハンドルを大きく切ってガードレールを突き破りたい衝動に駆られるのは、ボクだけだろうか。
 光に吸い寄せられる羽虫のように、ボクも真っ赤な光に心を奪われているのかもしれない。

 海にはいい思い出がない。

 その日ボクは、隣街に住む友人に逢うため、車を走らせていた。
 山と海の狭間を抜けるその道にはいくつもの川があり、そこに掛けられた橋の継ぎ目を通り抜けるたび、タイヤはピシンッと断続的な音を立てる。

 ピシンッ ピシンッ ピシンッ

 眠気を誘う音を聞きながら、朝の自分を思い出した。
 鏡に向かうボクの顔は自分でも驚くほどやつれていたし、眼は、自分をきちんと映せているのかと疑うほど虚ろで、そこにはとても久しぶりの友人と逢う喜びの表情などみえなかった。
 こうして彼女へ逢いに向かう車の中でも自分の眼を見たくないから、ルームミラーはあらぬ方向へ向いている。
 
 車は次の橋に差し掛かる。

 ピシンッ ピシンッ ピシンッ

 半年前、友人と逢ったのは、彼女が住む街の海岸だった。
 小さな河口に面した砂浜に海を背にして立つ彼女と、その足元で、仰向けに寝転んでいる彼女のコイビト。

 
 夕日に照らされた細身の彼女の影が、もっと細くボクの足元まで届く。
 
 彼は砂が髪の毛につくのも気にしない様子で、両手を胸の上に組んでいるように見えた。
 
 ボクは二人に近づいた。夕焼けの太陽に照らされた彼の顔も、その白いポロシャツも赤く染まり、見下ろす彼女の顔だけがなぜか青ざめて見えた。
 海と街とを隔てるためだけに植えられたような連翹の黄色い花は、複雑なオレンジ色。

 

 彼は夕日の色と同じ色の血に染まって死んでいた。

 呆然としてしゃべるのも辛そうな彼女から少しずつ聞きだすと、彼に呼ばれてここにきたときには、もうすでにこの状態だったっという。
 しっかりと胸に差し込まれたナイフ、その柄をしっかりと握り締めた両手から、彼が自らの心臓を傷つけて息絶えたのは明らかだった。

 

 その後、ボクの通報で駆けつけた警察の捜査で、彼のジーンズのポケットから遺書らしきものが見つかったこと、
 第一発見者として疑われる立場にあった彼女の無実が証明されたことなどはどうでもいいことだった。
 彼女が彼を殺したなどということは、ボクの頭をよぎることさえなかった。
 二人がお互いをとても尊敬し合い、愛という一言で括ってしまえないほど深く繋がっていたことはボクが一番よく知っていたからだ。
 
 そのときのボクは、彼が死んでしまって悲しいという思いよりも、絶望に立ち尽くす彼女の手を取り、抱きしめてあげることがなぜできなかったのかという後悔のほうが大きかった。

 なぜ、どうして。

 警察に事情聴取のため別々に連れて行かれたあと、彼女からの連絡は途絶え、行方が判らなくなっていた彼女から、逢いたい、との電話が来たのが今日なのだ。

 一年間ボクはほとんど引きこもりの生活をしていた。親友だった彼との繋がりの中でしか、彼女と逢うことはできないのだろうか。彼女はどうしてボクにさえ逢おうとしないのか。

 なぜ、どうして。

 ピシンッ ピシンッ ピシンッ

 彼女の街とボクの街を区切る境界線の橋を渡り、浜辺へとつながる河口沿いに車を停めて彼女を待つ。
 
 あの日と同じ場所、あの日と同じ夕焼け。

 彼女はいつの間にか砂浜に立っていた。車を降り、彼女のもとへ行く。
 
 久しぶりだね、と投げかけるボクの声は少しかすれた。
 

 もともと細かった彼女の体はさらに痩せていた。頬骨の上にやわらかい皮膚がのってチャーミングだった輪郭も(ボクはいつもファニーフェイスだと言ってからかっていたが)、今は見る影もなく落ち、それが以前とは逆に、鋭いナイフのような美しさをもたらしていた。

 彼女はボクの挨拶に答えず、滔々と話し出した。
 
 彼が死んだ直後に仕事を辞めたこと。
 街を出てあてもなくさまよっていたこと。
 皮肉なことに彼の死亡保険金の受取人が彼女になっていて、それは警察が彼女を疑う動機になったと同時に、働かずとも数年は生活できるほどの財産を彼女にもたらしたこと。
 
 何度も死のうと思ったと彼女は言った。彼がいないことは世界がなくなるも同然だったから、と。

 そしてボクにこう問いかける。ボクは彼女の少し斜め前に立ち、彼女の言葉に耳を傾ける。

 「ねぇ、彼が死んでいるのを見つけたとき、こんなに恐ろしいことはどこを探しても他にないと思ったわ。でもね、もっと別の恐ろしいことがあるってあなたは知ってる?」

 ボクは判らない、と言った。本当は判っていた。次に彼女がなんと言うか。


 「本当に怖いのはね、自分が少しずつ狂っていくことに気づいたときよ」

 ボクはずっと彼女の眼を見ることができなかった。

 「朝起きたとき、ほんの少しだけ昨日より違っている自分を鏡の中に見るの。少しづつおかしくなっていって、気力もなくなって。死のうとする勇気すら私の中から削られていくの。」

 ボクはようやく彼女の眼を見た。そこには朝、鏡をのぞいたときに見たのと同じ、無気力になった虚ろな眼があった。

 今度こそ。

 彼女の手をそっと取った。その冷たい手は、ゆっくりと、ためらうように握り返してきた。

 今度こそ。ボクはその手をしっかりと握り締めて離さなかった。

 
 

 連翹は、あの日と同じ色のまま。
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by telomerettaggg | 2006-12-16 15:04