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ウィリー



 「据え膳食わぬは男の恥」ということわざだったけか、そういう言葉があるけど、オレはそういうのが大嫌いだ。
 言葉のままの意味で使われることはほとんどなくて、
 だいたいは女性と、ほら、そういう雰囲気になった時に、成り行きに任せなさいよ、
ということだと思うんだけど、そういう押し付けがましいのが嫌なんだよね。

 食べたいときに食べるし、食べたくなければたとえそれが女の子に恥をかかせることになったとしても、そんなの知ったことじゃないよ。
 食事は食事、デートはデート、交尾は交尾、あらかじめお互いが納得した上で、というのがオレの主義だから。

 で、今オレがいる状況はそういうのではなくて、まさしく言葉どおりってことなんだ。
 森の中でお菓子の家を見つけたのはヘンゼルとグレーテルだったけど、
ここは地面がそのままオレにとってのご飯みたいなもの。うっそうと生い茂った林の中で、
いつでも食事できるってのはいいもんだ。これは食べないと恥とかじゃなくて、必然だな、必然。

 オレたちの世界はこの揺れ動く、そして昼もなお暗い林の中がすべてだ。
 たまに差し込む光はとても弱々しくて、寒くて、それでも地面は暖かくて、そこで食べ、寝て、そして追われる。

 追われるってなによ?と思ってるかい。誰だって何かに追われてるだろ。
 時間とか宿題とか、それに敵とか。
 
 オレたちにとっての敵は空からやってくる。
 急に林をかきわけたかと思うと、必死に逃げ惑うオレたちの仲間の一人をつまみ上げて、どこかに連れ去っていくんだ。
 おそらく連れて行かれたやつはひねり潰されてるんだろう。悲痛な叫び声が遠くから聞こえてくることがあるもんな。
 それでもオレはその状況に悲観したりはしない。許し、受け入れる。これもひとつの主義だからさ。

 オレの母親もそうやって連れてかれちまった。
 逃げ足が速いので仲間内でも有名だったのに、それでもつかまるときはつかまるもんだ。
 で、彼女はつまみあげられながら、それを見つめているオレに向かってこう叫んだんだ。

 「柔らかな秋の日を待ちなさい」

 ってね。
 それはオレたちの住むこの場所にいる連中がよくつぶやいている言葉だったから、
なにをいまさら、って感じだったけど。
 そもそも、秋とはなんなのか、周りにいる連中も知らないんだから。
オレも判らないよ。判らず口にしているってのも不思議な話なんだけど、それでもなぜか忘れられないんだよな。
 もうすぐ死ぬであろう母親が遺した最後の言葉が、柔らかな秋の日を待て、とは、そこまでして伝えたかったほど大切な「何か」を待て、ということなんだろうしね。

 とにかく、オレはそれを待ってみることにする。それまで捕まらずに逃げ切ってみせるさ、きっと。





 彼女にそっとキスをしたら、ほんの少しだけ、桃の味がした。
 そのことを言うと、
 「さっき飲んでたお酒だわきっと」
 と返事が返ってきた。
 「あなたはなにを飲んでいたの?不思議な味がしたわよ」
 「ああ、みんなに無理やり飲まされて、日本酒とウイスキーとブランデーのロックを」
 彼女は声をひそめて、それでも笑いたくなるのをこらえるように口を両手で押さえながら頬を緩めた。

 走るのも容易ではないほどうっそうと茂った林の中をボクらは走って、走って、そして走った。
 ようやく立ち止まって、草むらの影に身を潜めるように2人で腰を下ろして座った。
 まだ手は握ったまま。

 「さっきまで逃げ回っていたのが嘘のように静かだね」
 「ほんと、そうね。いったいどこにいっちゃったのかしら。それに、みんなともはぐれちゃったみたいだし」
 「あいつら、無事だといいんだけどなあ。何しろ急に襲われたものだから、逃げるのにせいいっぱいで」
 「でも、私の手はずっとひっぱってたのに」
 「なにしろ、必死だったから」
 「それはわたしも、そう」

 みんなでやって来た季節外れのキャンプ場に立てられていた、奇妙な看板のことを思い出していた。
 かなり昔に立てられたものらしく、字は消えかかっていて、読むのに苦労したけれど、確かに書いてあった。
 
 「あれって、いったいなんだったのかしらね?」
 「あれ、というのは、やつらのこと?」
 「そうじゃなくて、あの看板」
 「柔らかな秋の日を待て、だったねたしか」
 「キリストはもうすぐ甦る、のような看板はたまに見かけるけど、そういうのじゃなかったわよねえ」
 「うん、そんな宗教的なものじゃなかったね。今はもう秋だけど、柔らかな秋ってなんだろうね」

 2人とも時計を持っていなかったので、今が何時か判らなかったけれど、それでも空を見上げると、詰め込まれた木々の隙間から、ほんの少しだけ月のかけらと、映し出された雲の破片が見えた。

 冷たいけれど、優しい、夜半の空気。
 山の端のほうからうっすらと光が漂ってくるのはきっと、もうすぐ朝だから。

 「もう少したって明るくなったら、見晴らしのいいところまで登ってみよう。ここがどこなのか判らないし」
 「うん」

 そうだ、明るくなったらきっと、太陽の日差しはきっと暖かいに違いない。
 ボクらはきっとその日差しの中で、「柔らかな秋」を見るんだ。

 繋いだ手の先にいる彼女をそっと抱き寄せて、また、キスをした。






 言霊なんて私は信じてなどいない。

 どちらかと言えば、語るよりもその目によってのみ考えていることは伝わり、広がり、伝播していくと私は考える。あまり相手の目を見て話さないのは日本人の悪い癖だ、とはよく言われる話だが、それはそうだ。
 不用意に相手の目を見るものではない。
 「目は口ほどにものを言う」のだから、特に攻撃的な眼差しをしていると自分では考えていなくとも、その心で無意識に思い描いた敵対心、侮蔑の目には敏感に反応してしまうのだ。
 目が合っただけで喧嘩を売られたと感じる仲間もいるくらいなのだから。
 私の仲間に出会ったら、決して目を合わせてはいけない。

 けれど大勢の人々は、言葉にこそ何らかの力があると考えているようで、言い回しを変えたり、呼称を言い換えることで、まるで襲い掛かってくる不幸を避けられる、とでも考えているような節がある。
 例えば、アシ。
 「人間は考える葦である」と言った哲学者が誰だったのか失念してしまったが、その葦、と言う言葉が「悪し」に繋がるので「ヨシ(良し)」と呼んでみたり、スルメ(掏る)をアタリメ(当たり)と呼ぶことなどがそうだ。

 そして、「猿」は「去る」なので「エテ」(得て)と呼ぶ。



 「ほら、あそこにエテ公がいるよ」
 「あ、ほんとだ、わたしたちを襲ってきたやつの仲間かなあ」
 「どうだろう。しかし、気持ちよさそうに日向ぼっこしているね」
 「うん、とっても気持ちがいいわねえ。ああ、これが」

 「柔らかな秋の日」
 
 2人同時に、そう話しながら目を見合わせているのが、樹上の私からも見えた。
 だから目を合わせるな!って言うだけ野暮かもしれない、この場合。



 蚤も、人も、そして猿も、厳しい冬を迎える、ほんの少し前に訪れた、暖かい日差しを浴びていた。


 そう、柔らかい秋の日差しを。





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久しぶりの写真物語に写真を送ってくださったのは 風蘭さん でした。風蘭さんどうもありがとうございました。満足いただける仕上がりになったかは判りませんが、ようやく出来上がりました。

写真を見てすぐ頭に浮かんだのは、小学低学年の頃、もしかしたら幼稚園だったかもしれませんが、その頃に読んだ「まんげつのよるまでまちなさい」という絵本のことでした。
余談ですが、まさかもう売られていないだろう、と検索してみたら、まだありました。びっくりです。
あえて内容は語りませんが、単調なやりとりが続くだけの物語で、最期の1ページを開いたときの感動を今でも思い出すことが出来ます。
この記憶と写真から浮かんだ物語は、皆さんの心に響いたでしょうか?
いや、響かなくてもいいんです、書いたボクが嬉しがってますからね。


写真データ:
MINOLTA αSweet2 TAMRON28-200 XP
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by telomerettaggg | 2006-12-16 16:34