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それ

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 自分ではそういうつもりは全くないのに、気づいたらなにか違うものになっていた、という経験は誰にでもあるだろう。
 嫌いだった食べ物が、じつはそんなにまずくはないことを知ったとき。こうでなければならない、と感じていたことが、じつは誰かの期待に答えるため、無意識に演じていた性格だったことに気づいたとき。

 「それ」は、少しずつ沁み込んでいき、白かったものを黒く変えてしまうことすらある。そのスピードはあまりにもゆっくりとしているため、自覚症状もないままふと我に返って、変化に気づく。


 ボクが「それ」のわずかな変化に気づくことができたのは、たんなる偶然というしかない。
 それは、コーヒーの飲み残しからだった。

 子供の頃のボクは、コーヒーに限らず、飲み物はなんでも素早く飲み干してしまっていたように思う。何かにいつも喉が渇いているような、そんな切迫感ともいえる感情に支配されて、すべてを飲みつくすまでカップがテーブルに置かれることはなかったような気がするのだ。
 コーヒーカップの底にこそ、世界の真実は隠されている。
 そう感じていたのかもしれない。

 ある朝めざめたボクは、部屋の中に何かの異変を感じていた。一人きりで暮らしている部屋、もちろん誰かが部屋に忍び込んだなどということもなく、寝る前に見回した部屋のなかでなにかが移動させられたような気配はなかった。

 デモ、ドコカガチガッテイル。

 夢の中でボクは、誰かに追われている。どこかでうすぼんやりと、これは夢なんだから、と自分に言い聞かせ、大丈夫、捕まったとしてもなんてことはないさ、などとたかをくくっているのに、どういうわけか逃げる足は全く止まろうとしない。これは夢なのに。
 ちょうど、そんなときの釈然としない感覚に似ているような気がする。
 しかし、それはなぜか心地よかった。
 
 寝ぼけた目をこすりつつ、テーブルの上のカップを流しに持っていこうとして、その、底に残ったコーヒーを見つけても、別に何の感情も沸かなかった。あれ、全部飲んでなかったんだな、と思っただけだった。そのときは。

 会社へ行く支度をして、スーツ姿でバス停に向かう。バスに乗り込むとき、大きな荷物を持ったおばあさんが立ち往生しているのを見て、その大きな風呂敷包みを持ってあげる。車内は満員で、初夏の熱気とサラリーマンの鬱屈したため息が押し込まれていたけれど、ボクには全く気にならない。

 会社よりも二つ前のバス停で降りて、緑の豊かな歩道を歩いていく。どういうわけか鼻歌さえ出てきそうだ。透過光が目に眩しくて、目を細めながらさらに歩いていく。



 結局のところ、残したコーヒーがなんだったのか、それが何の変化をもたらしたのかは、今でもよくわからない。ただ、ひとつ説明がつくのは、ボクがこんなに上機嫌で朝を迎えることが出来たのは、このときが初めてだったような気がするのだ。

 ただ、こうやってほんのわずかずつ、ボクは変わっていくのかもしれないな、ということをぼんやりと考えていた。それがいいことでも、悪いことでも、それはどう影響するのか、そんなことは判らないし、多分どうでもいいことなのだろう。一日一膳・因果応報などと知ったようなことを言えるような立派な人物でもないのだから。

 「それ」に気づいただけでも、変わったって事なんだろうな、と。そしてそれを受け入れていかなければ、とも。

 
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by telomerettaggg | 2007-06-22 00:55 | Nikkor 50/1.4 Ai-s