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Smells Like Teenspirit

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 これは文字通りなのだけれど、私の嗅覚は生まれた時から人よりもかなり弱いらしい。
 体調によっても左右されるようで、酷いときにはガスの臭いさえもわからず、皆でカセットコンロを囲んで鍋をしているとき、あたり一面に漏れたガスにさえ気づかなかった。
 ほとほと困り果てた鼻ではあるが、実生活を送る上で一番なくても困らない器官は?と尋ねられれば、やはりそれは嗅覚ということになるのかもしれない。
 窓辺に飾られた花の香りがわからなかったり、食卓を彩る料理の匂いが感じられない、といった程度の不便さはあるにしても、それは生活を楽しむ上でのエッセンスでしかないわけだ、文字通り。


 人がガンに罹っていることを嗅ぎ分ける犬がいるという。
 ガン患者の呼気に含まれる微量な成分によってそれが判るらしいのだが、人間の数万倍といわれる嗅覚を持つ犬だからこそなしうる業なのだろう。
 しかし、人にもそれと似たような能力があると聞いたことがある。
 たとえば、異性の放つフェロモンに無意識に反応して好意を持ったり、あるいは愛情を抱いたりすることが挙げられるだろう。一説によると「一目惚れ」などはフェロモンのもたらす効果である、とさえ考えられているようだ。もちろん、生理的に受け付けない人の存在も見逃せないが。

 無意識のこういった行為を「能力」とするならば、という前提で話を進めるけれど、私にはある特殊な能力がある。

 そのことに気づいたのは今から1年ほど前のある出来事がきっかけだった。
 たいていの人が目的もなく町をぶらついているような場所がどこにでもひとつはあるものだけれど、私もその中の1人として意味もなく歩いていた冬の午後。
 特になにかを買い求めるでもなく電気屋や家具店をのぞき、なにかご入用なものは?と尋ねてきそうな空気になったらまた次の店に行き、歩きつかれたら喫茶店でコーヒーをすすりながら街行く人を眺めていた。風邪が流行しているのか、マスクを装着した人が目立つ。
 喫茶店独特のコーヒー豆とそれを蒸らすしっとりとした空気の香りなど、私には感じられるべくもなく、無臭に近いアメリカンコーヒーを覗き込みながら、ふと向かいの席に目をやると、そこには学校帰りなのだろうか、近くの私立校の制服を着た女の子が一人で座っていた。
 
 待ち合わせなのか、それともただの時間潰しなのかはわからないが、彼女は手持ち無沙汰に携帯電話を片手に持ち、ほとんどテーブルに寝そべるような姿勢で肩肘をついていた。
 これといって珍しい風景ではない、と思う。
 女子高生など隣の席にも数人がたむろして、今日学校であったこと、数学の教師がムカつく、誰それが別れた、といったたわいもない話を繰り広げていたし、別段私が制服マニアであるといった、特殊な性癖の持ち主であるというわけでもないので、普段なら日常の風景の一部分として流してしまう光景であったはずだ。もちろん、特別私の好みの容姿だった、というわけでもない。
 所在なげに携帯電話をいじるその子の顔だちは、どちらかというと幼くて、それを隠すために化粧を濃くしている、といった感じだった。学校は化粧してもいいんだっけ、まあ、どうでもいいか、などと考えながら、なぜか視線をなかなかはずすことが出来ずにいた。


 ふと、その女の子が顔を上げて私のほうを見た。
 しまった、あまり見つめすぎたか、という思いと同時に、今まで感じたことのないような情景が見えた。
 幻視、といえばそうなるのかもしれないが、そのとき見えたのは、その女の子と仲良く公園を散歩し、寝転んでいるネコを一緒になで、共にコーヒーを飲んでいる、そんな情景だった。
 公園も、コーヒーを飲んでいるのも、私には見覚えのない場所で、それが通常思い描く妄想の類とは異種であることを強く感じさせた。
 
 一目惚れ?そうとは思えない。
 恋愛経験がそう多いとは言えない私でも、人を好きになったときに感じる高揚感、心臓の鼓動が聞こえてきそうな感情には経験がある、だいぶ昔のこととはいえ。
 今回のそれは、そういった高ぶる気持ちといったものがまったくなく、ただ、流れる映画のシーンを見ているような、奇妙な冷静さがあったのだ。

 自分の見たこの情景がなんなのか、それを解明する方法はひとつしかない。
 私は、その手段に踏み切ることにした。






 要するにそれは、数ある選択肢の中から私が選ぶはずだった将来のビジョンだった、というしかないだろう。私に対して好意(愛情)を持つであろう相手の前でだけ、それは見えるらしい、のだ。


 成人式で若者に向かって挨拶する市長のコメントではないけれど「あななたたちには数多くの輝かしい未来が待ち受けています」というのは嘘だと思う。
 ある選択を要する時点に到達したとき、どちらを選ぶか、というのは個人の判断というより、それまでに積み重ねてきた経験や知識に基づくものであって、なにを選ぶか?ではなくなにを選んだか、という結果でしかないのかもしれない。
 まったく対等な二つの道があって、どちらに進むか?
 実際にはそういうことはほぼないと言い切ってしまうが、そんなとき、どちらがいいのかを判断するのは、意思というよりもむしろ本能に近い感情によるものなのかもしれないのだ。


 今、私の隣にはあのとき出合った女の子がいて、一緒にコーヒーを飲んでいる。

 それが唯一の真実。
 私がにおいを感じた、唯一の証。




 まあ、彼女には「あなたに好意を持つ人ってどれだけ少ないのよ?」と笑われてはいるのだけれど。





 
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by telomerettaggg | 2008-02-14 20:29 | RICOH caplio R5