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Till there is a story

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nagoya/aichi


 まず、タイトルがぼんやりと頭に浮かんでくる。
 念視するような勢いで写眞を見つめていると、なにかの弾みで最初の言葉が出てくる。
 押し出されたように、ポンッと。

 思考は幾重にも折り重なっているからなのか、出てくる言葉は、見たままの印象とは全くかけ離れたものだったりする。でもとにかく、それをノートに綴る。結末なんてまるで見えていない。
 自分の中にあって自分ではない、不思議な感覚と共に、ある人の人生が描き出されることもあるし、それは擬人化された何かだったりする。定点観測のような一方向からの視点になることもある。

 物語の登場人物の性格や、そこで語られたことが、そのまま自分の考えだと思われることがよくある。
 けれど、それは自分の考えではない。いや、自分の頭の中から出てきたものだから、ある意味間違ってはいないけど、そのままの思考をトレースしているわけではない、ということ。
 誰かが、「人生はお金が全てだ」と発言したとしても、それが筆者の意見であるとは限らないのだ。

 そうやって登場人物は自分の中で勝手に動き回り、言いたいことをいい、あるものは何も出来ず、そしてその役目を終える。


 現実の生活をどこが違うのだろう。
 先のことなど何も判らない。そこにあるのは、こうなってほしい、という期待を含む展望があるにすぎない。明日の朝も太陽が昇るだろう、という期待値とそうたいして変わらないものなのだ。
 誰も明日の朝日が必ず昇ると断言できない。期待あるいは仮定の話に過ぎないのだから。
 それでも人々は、それを信じている。
 健康な人が、明日の朝も目覚めるだろう、という予想くらいには。

 そういった無意識の予測をもとに、明日の計画を立て、半年後の旅行を企画し、ずっと先の将来設計を立てる。先が見えないことに不安を感じる。結果としてそれは成り行きにしかなっていないとしても。

 物語の結末については、それを客観的に見て幸福に終わらせるか、それとも救いのないものにするか、しばし考えることもある。創造者の立場から、登場人物に対して修正を加える、とでも言うべき作業を行うこともある。2種類、あるいはそれ以上のことなる終焉を出すときもある。いずれにしろ、最後までどうするかはまったくわからない。夕食に食べた魚の目の輝きがよかったから、という些細なことでどちらにでも転ぶ可能性がある。分岐点へのきっかけはいたるところにあるのだ。

 そういうものなのだから。





 
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by telomerettaggg | 2008-02-28 23:44 | Nikkor50/f1.2 Ai-s