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本能寺で待ってる




「ええい、遅い!光秀はまだか!」
 痺れを切らした信長は声を荒げた。
 こうやって待ち続けてもうどれくらい経っただろうか。一刻、いや二刻半は過ぎただろう。
「そう言われましても殿、明智殿にも覚悟を決めるお時間がございましょうし、いましばらくおまちくださいませ」
 傍に控える蘭丸が宥める。信長同様、新調した小姓姿も凛々しい蘭丸はそう言いながら自身も待ちくたびれていた。
 二人の覚悟はとうの昔に決まっていた。日はわざと新月になるよう一日にした。闇に乗じたほうが攻めこみやすかろうとの信長の判断だ。既に最後の敦盛も舞い終えた。

 なのに、肝心の光秀がやってこない。これではこちらの覚悟がなにやら惨めになるではないか。

 「しかし、蘭丸よ」
 は、と蘭丸は短く返答する。
 「世の中とは過分にも見た目で何もかも決まってしまうものかのう」
 「と、申されますと」
 少し気の抜けたような信長は蘭丸のその美しい姿を見つめる。それから、虚ろに視線をさまよわせた。
 「お前は、俺のことが怖いか」
 「いえ、そのようなことはございませぬ。殿のお傍にずっとおりましたから」
 「そうか。だが臣下はどうだ?今ごろ中国あたりにおるあの猿めなどは、俺のことをさぞかし暴君だと思っていような。いや、猿だけではない。浅井も朝倉も、俺が滅ぼし配下に加えたきゃつらは、血も涙もない鬼の化身とでも思っておるかもな」

 ふふ、と微笑みながら蘭丸は言う。
 「だって、それは殿がそう見えるようにしてこられたからでは」
 「それは結果としてそうなっただけだ。俺がそんなものを望んだと思うか」
 「いいえ。それはありえませぬ」
 「だろう……」
 信長は虚ろな目をさらに遠くにやる。思い返すのは今川との戦のことだろうか。それとも父上の葬儀のことだろうか。
 「そもそも、なにゆえお父上の位牌に抹香を投げつけたりしたのですか。全てはそこから始まったのだろうと、蘭丸は推察いたしますが」
 心外だ、という風に顔の前で手を振った信長は蘭丸に言う。
 「あれは、その、なんだ、ちょっとばかし焦っただけだ」
 「焦った、とは」
 「俺はごく普通に抹香をつまもうとした。列席しているのは織田家の味方とはいえ、いつ裏切ってもおかしくはない、どっちにでも立場を変えるような大名どもだ。そいつらが俺をじっと見ている。気もそぞろになって抹香をつまんだら、そこにあれがあったのだ」
 思い出すのも嫌だ、といった風情で信長は話を続ける。
 「その、コガネムシの脚が」
 ここで言うコガネムシとは現在でいうところのゴキブリである。ちなみに歌にもある「コガネムシは金持ちだ。金倉建てた 蔵建てた」のコガネムシも同じくゴキブリのことを指す。ゴキブリは卵を尻にくっつけたまま動く。その卵が金を入れた巾着に見えたことからくるらしい。

 「慌てた俺は、声こそ挙げなかったが抹香をそのまま叩き付けた。そこがちょうど親父の位牌だっただけだ」
 「そうだったんですか。そういえば殿は大の苦手でしたものね、コガネムシ」
 「ええい、言うな言うな!」

 しかし、蘭丸は得心が言ったかのようにはたと手を叩く。
 「公の場で殿がなにかをなさったのはあれが始めてでしたものね。最初に周囲へ睨みを効かせたような行為をした以上、そのあとは……」
 「そう、そうなんだ。というか、お前なんだか口調が慣れなれしくないか」
 「もう、いいじゃあないですか。信長様とのお付き合いもなごうございましたが、それもあと少し」
 「それも、そうだな。それにしても光秀は遅い。あの禿めが。なにをしておる」
 怒鳴る信長であったが、ゴキブリが怖い話をした後とあってはそれも照れ隠しにしか見えない。

 「桶狭間のときは蘭丸もご一緒しましたが、わたしはあそこが終の場所になるやと思っておりました」
 しばしの後、蘭丸がそう言うと、信長もそのときの情景を思い浮かべた様子だった。
 「今川か。こっちもそのつもりで、完全な無策で飛び込んだんだがな。あまりに突飛な行動をされると人というものは唖然として反応できなくなるものなのだな。普通、少数精鋭といってもあれだけの大軍に攻め込んだら負けるだろうが。一点突破が聞いてあきれるわ。やった当の本人が一番驚いておるわ」
 「策士、策に溺れる正反対でしたね。無策に勝る策はなし、といったところでしょうか。大成功が大失敗だったわけですが」

 「人は守るべきものがあれば強くなれる、というが逆もまた真なり、ってことだな。なにもないから突拍子もない挙に出ることもできる。なにせ、こちらは死ぬつもりでいたのだから」
 「それを近隣諸国は鬼神のような武将がおるぞ!と恐れおののいたわけですからね。まさに人はみたものをそのままに判断してしまうのですねえ」
 「戦だけではないぞ。俺が作った楽市楽座もそうだが、それに加えて領地内での関所を全て撤廃したな。あれもそうだ。たしかに結果として経済は潤った。物資が淀みなく流れることで民衆の暮らしは楽になっただろう。だがな、そうじゃないんだ」

 関所の撤廃、それは物を潤滑に動かすことも出来る。それと同時に人もまた自由に動けるようになる。
 「だから、早く攻めて来いよ!光秀!」


 明らかに信長は戦国武将としてごく初期から、文字通り「死ぬ」気で戦っていた。
 少人数で多勢の敵に戦いを挑み、邪魔な比叡山を焼き討ちし、民衆の反感を買う行動に出た。賢しらの秀吉には猿と仇名をつけからかい(もっとも秀吉はまったく気にしていなかったが)明智光秀を禿頭と馬鹿にし、出世できぬようにした。恨みをばらまいて、いつでも反旗を翻せるよう条件を整えて、ごく少数のお忍びという形で本能寺にやってきた。ここにいることを知っているのは、近場では光秀しかいない。

 「それでも、光秀には悪い、とは思うぞ」
 「主君を殺す大罪人、ということになってしまうんですものね」
 「仕方がない。馬鹿にされて嗜虐してしまうのなら、その責めは光秀本人に与えられてしかるべきものではある。あいつのことは猿にまかせた。しかしその子孫には手厚くもてなせ、とすでに命じておる。桔梗の紋は絶やすな、と。あとは光秀をどうするかは猿が決めること、俺にはどうでもいい」

 のちに徳川家康の側近として仕えることとなる南光坊天海の家紋が光秀と同じ桔梗の紋であったことは単なる偶然なのかはたして同一なのか。謎は謎のままここでは触れずにおく。


 「光秀はまだか。俺は本能寺で待っておるぞ」

 そう、織田信長は待っている。本能寺で待ってる。本能寺でずっとずっとずっとずっと待ってる。







織田信長が死に急いだ、という話の元となっているのは私の発案ではなく、鯨統一郎「邪馬台国はどこですか?」収録の「謀叛の動機はなんですか?」から来ています。小説未読の方にネタバレ覚悟で明かしたのは、そう書いておかないと「お前パクリだろ」と追及されることを避けるためです。
しかし、ここで私が使わせてもらったのは「信長自殺説」のみで極さわりの部分のみですので、興味を持たれた方は是非この作品を読んでみられることをお勧めします。歴史的な事実に基づく説ではないとはいえ、そういう考え方があったか!と目からうろこが落ちること間違いなしの小説です。
by telomerettaggg | 2014-01-22 03:48