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塀にまつわるエトセトラ

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kodak PORTRA160NC


 子供の頃のことはよく覚えていない。

 正確に表現するならば、よく思い出せない。それが遠い過去になってしまったということもあるが、20代も半ばを過ぎた頃に起こした自動車事故で頭を強く打ち、部分的な記憶障害に陥ったからだ。
 横転して車の屋根がどこかへ剥がれ飛び、オープンカーになってしまったほど酷い事故だったわりに、ボクの体には何の外傷もなくすんでよかった、としか言いようがない。
 
 記憶は徐々に戻っていったし、日常生活にはすぐに戻ることができた。過去の記憶なんて「これから」には必要ないものだったりするのだから。

 それでも、過去を遡るかのように記憶は甦ってきた。24歳、20歳、と順を追って思い出す記憶は、まるで他人事のように感じられたし、それはまるで、望んでもいないのに無理やり服を着させられた飼い犬の不満げな顔のように馴染まなかった。

 記憶の連鎖が12歳まで達したとき、急にあることを思い出した。
 

 「まじやばいって、どうするよ?」

 そんなふうにすぐ切羽詰るのは、いつも一緒に遊んでいた同級生の柿本君だ。いつもは余裕綽々といった様子で落ち着いているように見せながら、それが「ふり」だということは、緊急事態になったときにわかる、と誰かの本で読んだ気がしたが、とりあえずその場がかなりまずいことになっているのは確かだったので、ボクは有無を言わさず柿本君の袖口を引っ張り、慌てて逃げ出した。


 「忍者ってさ、自分の身長より高い塀だって飛び越えられるらしいぜ」
 柿本君が物知り顔でボクにそう話しかけてきた。学校帰りの道は、古い住宅街に囲まれたところが多く、それはそのまま、街全体が古ぼけてきていることを物語っていたのだが、小学生のボクにはそんなことを知るすべもなかった。ただ、最近空き家になっている家が増えてきているな、そんなことをぼんやりと考えるくらいだった。そういう廃屋は、遊び盛りの子供だったボクたちにとって格好の秘密基地になったし、どうということはなかったのだ。

 「お前、この塀飛び越えられるか?」と彼が指差したのは、そういった空き家のひとつを囲む、古びたブロック塀で、苔むして緑がかったそれは、いまにも壊れそうだった。実際に穴が開いて、向こう側が見える箇所すらあった。
 「無理なんじゃない。だってボクの頭より高いよ」
 やる気のなかったボクはそう答えたが、柿本君は「俺ならできる」と言い張った。
 できないよ、いやできる、という言葉のやりとりがしばらく続いたあと、じゃあ、やって見せるから、お前そこで見てろ、と言うやいなや、助走をつけるためか道の反対側までめいいっぱい下がり、それから塀に向かって全力疾走した。

 ガコ、と鈍い、しかし確実に何かがずれたような音を出して、塀はその全体が向こう側に倒れた。
 勢い飛び越えようとしたはいいが、まるで高さが足らず、体ごとぶつかるのを避けて柿本君が繰り出した足が、塀に思いっきり飛び蹴りを入れた形になり、ブロック塀が根こそぎ倒れたのだ。
 まさか、一部分が壊れるならまだしも、全体が倒壊するとは思ってもいなかった柿本君は、唖然とした表情でその場に立ち竦み、それから、自分がしてしまったことに気づいて焦りだした。
 「まじやばいって。どうするよ」と青ざめた顔の柿本君を引っ張って逃げているときのボクは、笑いをこらえるのに必死だった。
 部分的にあいたブロック塀の穴を見る限り、その塀には鉄筋が入っていなかったのだ。父親が建築業を営んでいたこともあり、子供ながらも見る目はあったらしく、それがどんなに不安定な状態かはなんとなくわかっていた。
 柿本君と、できるできないの言い争いをしているときから、ヤツが塀に飛び込んだら絶対倒れるな、と踏んでいたのだ。

 それからずっと、20年以上経った今でも、思い出すたびに笑ってしまう。


 でも、それと同時に思い出した、もうひとつの事実は全然笑えない。
 
 ボクが起こした自動車事故の原因。

 自殺しようとして車ごと民家の塀に飛び込んだ、その事実に気づいたことを。
 なぜ死のうとしたのか、その事実だけはこの歳になってもまだ思い出せないのが不思議なのだが、きっと、それは思い出さないほうがいいという無意識なりの自己防衛なのだろう。

 だから今でも、そういう苔むした、ボロボロのブロック塀を見かけると、柿本君が体当たりしてバコっと倒れたあのブロック塀のことと、そこに数十年後飛び込むことになるボク自身のことを思い出して、可笑しいやら泣きそうやら、とても複雑な表情を作ってしまうのだ。
by telomerettaggg | 2007-04-19 03:31 | Planar50/1.4